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2025年7月31日(木) 00:28
アニメ・映画の専門職大学 設置が中止に
彦根市は、「映画のまち彦根」を進めていこうと、市が誘致し、開校を目指していた映画やアニメの専門職大学の設置が中止となったことを発表しました。
彦根市で、映画やアニメなどの制作を学ぶ専門職大学の設置を進めていたのは、学校法人・吉田学園です。彦根市と吉田学園は、おととし3月に基本合意書、去年6月に、協定書を交わしています。
しかし、今年に入って事業が進んでいるように見受けられなかったことから、5月に就任した田島市長が先月、吉田学園と面談し、現状を確認したところ、このまま進めることが困難ということで、今月24日に吉田学園から基本合意と協定を解除したい申し出があったということです。
建設予定地は、当初、JR稲枝駅近くの民有地が考えられていましたが、去年6月の時点で、JR彦根駅東口から徒歩6分の市の土地を基本とすることになっていました。今後、この土地について、田島市長は、様々な関係機関と協議しながら有効活用を考えていきたいとしています。
なお吉田学園の吉田東吾理事長は、「このような結果になったことは誠に遺憾ですが、映画制作をはじめとしたコンテンツ産業の分野において、今後も彦根市との協力関係を築いていきたい」とコメントしています。
彦根市で、映画やアニメなどの制作を学ぶ専門職大学の設置を進めていたのは、学校法人・吉田学園です。彦根市と吉田学園は、おととし3月に基本合意書、去年6月に、協定書を交わしています。
しかし、今年に入って事業が進んでいるように見受けられなかったことから、5月に就任した田島市長が先月、吉田学園と面談し、現状を確認したところ、このまま進めることが困難ということで、今月24日に吉田学園から基本合意と協定を解除したい申し出があったということです。
建設予定地は、当初、JR稲枝駅近くの民有地が考えられていましたが、去年6月の時点で、JR彦根駅東口から徒歩6分の市の土地を基本とすることになっていました。今後、この土地について、田島市長は、様々な関係機関と協議しながら有効活用を考えていきたいとしています。
なお吉田学園の吉田東吾理事長は、「このような結果になったことは誠に遺憾ですが、映画制作をはじめとしたコンテンツ産業の分野において、今後も彦根市との協力関係を築いていきたい」とコメントしています。

2025年7月31日(木) 00:17
竜王町が病児保育室を8月開所
竜王町は8月から、病児保育室を開所します。県内の6町の中では、初めての設置になるということです。
竜王町は、医療機関と提携し、町内在住などの条件を満たす生後6か月から就学前の子どもを対象にして、病気にかかった時や回復期に預けることができる病児保育室を8月に開設します。
この日は、医師や看護師ら関係者が集まり、施設見学や事業内容の確認などが行われました。町立竜王こども園内の一室60平方メートルを病児保育専用にして、仕切りや空気清浄機、ベッドなどが設置されています。保育士1人と看護師1人が対応し、定員は3人で、平日午前8時半から午後5時まで実施します。
町によりますと、2023年度に病児・病後児のための保育施設の需要について調査したところ、就学前児童の保護者のうち回答のあった75・2%が利用したいとし、2018年度と比較すると、31・8ポイント増加していました。共働き世帯の増加やコロナ禍などが背景にあるということです。提携する医療機関の医師も、診療の過程で病児保育に関する相談を受けていて、その必要性を肌で感じると話します。
利用には登録が必要で、現在、申請を受け付けているということです。
竜王町は、医療機関と提携し、町内在住などの条件を満たす生後6か月から就学前の子どもを対象にして、病気にかかった時や回復期に預けることができる病児保育室を8月に開設します。
この日は、医師や看護師ら関係者が集まり、施設見学や事業内容の確認などが行われました。町立竜王こども園内の一室60平方メートルを病児保育専用にして、仕切りや空気清浄機、ベッドなどが設置されています。保育士1人と看護師1人が対応し、定員は3人で、平日午前8時半から午後5時まで実施します。
町によりますと、2023年度に病児・病後児のための保育施設の需要について調査したところ、就学前児童の保護者のうち回答のあった75・2%が利用したいとし、2018年度と比較すると、31・8ポイント増加していました。共働き世帯の増加やコロナ禍などが背景にあるということです。提携する医療機関の医師も、診療の過程で病児保育に関する相談を受けていて、その必要性を肌で感じると話します。
利用には登録が必要で、現在、申請を受け付けているということです。

2025年7月31日(木) 00:10
障スポ運営ノウハウをつなげ 青森県と新たな連携事業
今年の秋に開催される「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」。このうち障スポの大会運営に関するノウハウを継承するため、滋賀県と次回開催県の青森県との新たな連携事業が行われることになりました。
会見で、両知事は、障スポ大会の運営のノウハウを継承するため、今年、滋賀県で開かれる大会に、青森県から、職員や視覚障害者むけの実況を行うアナウンサーらを派遣することを明らかにしました。また、さらに来年、青森県で開催される大会に、大会を経験した滋賀県の職員や、手話通訳者らを派遣するということです。これは、三日月知事からの提案を、青森県側がうけたもので、開催を終えた県が、 次の大会開催県と連携するのは、初めての試みだということです。
三日月大造知事は「大会開催を経てその経験を開催した県から次開催する県に派遣する形が効果的ではないかと考えている」とし、青森県の宮下宗一郎知事は「滋賀県の経験を私たちに生かせることは大変貴重な機会をいただいたと思う。滋賀県と連携した、これらの事業をできれば次の開催県にも着実につなげていく、ここまでが青森県の仕事だと思っている」と話しました。
障スポ大会でこのような連携が行われる背景には、天候の悪化による突然のスケジュール変更への対応などで、より細やかな大会運営が必要なことがあります。この他、来県者に対するもてなしについても、簡単な手話を使うためのリーフレットやポスターの準備などを連携して進めているということです。
会見で、両知事は、障スポ大会の運営のノウハウを継承するため、今年、滋賀県で開かれる大会に、青森県から、職員や視覚障害者むけの実況を行うアナウンサーらを派遣することを明らかにしました。また、さらに来年、青森県で開催される大会に、大会を経験した滋賀県の職員や、手話通訳者らを派遣するということです。これは、三日月知事からの提案を、青森県側がうけたもので、開催を終えた県が、 次の大会開催県と連携するのは、初めての試みだということです。
三日月大造知事は「大会開催を経てその経験を開催した県から次開催する県に派遣する形が効果的ではないかと考えている」とし、青森県の宮下宗一郎知事は「滋賀県の経験を私たちに生かせることは大変貴重な機会をいただいたと思う。滋賀県と連携した、これらの事業をできれば次の開催県にも着実につなげていく、ここまでが青森県の仕事だと思っている」と話しました。
障スポ大会でこのような連携が行われる背景には、天候の悪化による突然のスケジュール変更への対応などで、より細やかな大会運営が必要なことがあります。この他、来県者に対するもてなしについても、簡単な手話を使うためのリーフレットやポスターの準備などを連携して進めているということです。

2025年7月30日(水) 21:55
自衛隊が射撃訓練の再開を要請
今年2月、高島市にある陸上自衛隊の演習場で、射撃訓練中に発射した砲弾1発の行方がわからなくなった問題。30日、陸上自衛隊の幹部らが市役所を訪れ、今城市長に問題が発生してから中止している射撃訓練の再開への了承を求めました。
この日、高島市を訪れたのは、自衛隊や防衛省の幹部ら5人です。
今城市長に要請書を手渡し、問題の発生以来、中止をしている饗庭野演習場での射撃訓練再開への理解と協力を求めました。この問題は、今年2月、高島市にある饗庭野演習場で、実弾射撃訓練中に発射した1発の砲弾の行方が分からなくなり、その後、目標としていた区域から西へ約2キロ離れた演習場内で破片の一部が確認されたものです。
陸上自衛隊では、砲弾が目標地点から大きくそれたことについて、火薬の量を誤った人為的ミスと説明しています。陸上自衛隊では、既に市や住民らに対して、問題が発生した原因や再発防止策などを説明していますが、今城市長は、再発防止策や要請書の内容などを見極めたうえで、訓練再開の可否について回答したいとしています。
この日、高島市を訪れたのは、自衛隊や防衛省の幹部ら5人です。
今城市長に要請書を手渡し、問題の発生以来、中止をしている饗庭野演習場での射撃訓練再開への理解と協力を求めました。この問題は、今年2月、高島市にある饗庭野演習場で、実弾射撃訓練中に発射した1発の砲弾の行方が分からなくなり、その後、目標としていた区域から西へ約2キロ離れた演習場内で破片の一部が確認されたものです。
陸上自衛隊では、砲弾が目標地点から大きくそれたことについて、火薬の量を誤った人為的ミスと説明しています。陸上自衛隊では、既に市や住民らに対して、問題が発生した原因や再発防止策などを説明していますが、今城市長は、再発防止策や要請書の内容などを見極めたうえで、訓練再開の可否について回答したいとしています。

2025年7月30日(水) 19:51
戦後80年特集「空襲に奪われた命」
東近江市石谷町に殉国碑があります。そこには山田順一さん(76)の2人の兄の名前が刻まれています。亡くなった当時、山田久司君は小学2年生、忠雄君は3歳でした。1945年(昭和20年)の7月30日朝、2人は艦載機の機銃掃射を受けて命を奪われました。「やっぱり親が苦労していると思う。兄貴がいてたらいいなと思う」。
遺族や県平和祈念館の話によりますと、兄弟2人は近くの広場へラジオ体操に行き、空襲警報が鳴って家路を急ぎ戻っていました。山田さんは次のように話しました。
「空襲警報が鳴ったので、2人が帰ってきて、親父はここで(縁側で)座っていたみたい。母親が玄関で、早く帰っておいでと下の子に言って、上の子は早いので、怖いので部屋に入って布団に潜って怖いと言って。(飛行機が)上から下がってきて裏からずっと鉄砲で撃って、上の子はまだ息があったが、下の子は玄関で即死。それを母親が抱いていたみたい。誰かを呼んできて(息のあった久司さんを)戸板にのせて病院に運んでいった。その間も上から撃ってくるので、隠れながら行ったので、あかんかったと聞いた」。
翌日7月31日に葬儀が営まれました。その時の久司君の同級生が読んだ弔辞が残っています。
「…僕たちはどんなに悲しいか知れないよ…」
「米英の憎い仇は、どんなことをしてもとって見せる…」
純粋で、悲しい憎しみの連鎖に子どもたちが否応なく巻き込まれていきます。
当時同級生で、葬儀にも出席したという久田政男さん(89)。久田さんは当日、機銃掃射の音が聞こえたと話します。
久田さんは「それはすごい音だったバリバリという音は。もうあの音だけは今でも忘れんわ。ここらでもすごかった」と話しました。
同級生だった久司君は足が速く、陸上のライバルだったと振り返ります。
「久司君とは競争相手でもあるし、何としても負けられんというような気持ちが子ども心にあった。僕より大きいし、足腰、足でも強いし、心臓も強かったと思う。長距離はやっぱり、よう走ったわ。(葬儀の弔辞で)なんとしても青年になったら航空兵になって、やっつけてやるという気持ちの言葉は忘れんな」。
県平和祈念館の田井中洋介副主幹は「この表は滋賀県に空襲が来た記録として確認できた資料の一覧です。7月下旬に相次いで滋賀県に空襲がありました。東近江市の石谷で子ども2人が亡くなったというのは7月30日のことです」と話し、「アメリカの空母ベローウッドから飛び立ったヘルキャットという艦載機が滋賀県の上空にやって来て、八日市飛行場南東にあった工場を攻撃したと記録があり、その攻撃の中で巻き添えになったとみられます」と説明しました。
1945年7月には、西日本各地をはじめ、県内へも米軍機による空襲がありました。航空機に搭載されている機銃は、船舶や列車、車両などを破壊する威力がありました。そんな恐ろしい銃弾が幼い兄弟を襲ったのです。
これは米海軍の空母「ベローウッド」の戦闘報告書です。7月30日、艦載機による攻撃について記載があります。しかし、この幼い兄弟の死と、目前で我が子を失った親の悲しみは、どこにも記されていません。
弟の山田さんは戦後生まれで、物心つくまで兄2人の存在を知りませんでした。
「親は話さなかった。やっぱり思い出すのがつらかったからだと思う。聞いても、これは何やと言うと、それの答えが出るだけで、こうやったこうやったと言うことはあまり聞いたことない」。
しかし、山田さんは、言葉にならない深い悲しみを抱えた両親のことが、胸に残っていると言います。「雨が降って(機銃掃射で穴があいた所から)雨漏りがしても、何もせずにぼーっとそこに座っていた。雨が降っても何もせずに濡れっぱなしでずっといたと。(父親は)テレビで戦争のことが流れると泣いていた」。
山田さんは、銃撃のすさまじさを物語る穴のあいた鴨居や削れた柱をよく覚えていると話します。家は改築して、今は空襲の痕跡は残っていませんが、久司君が撃たれた部屋の位置は、変わっていないということです。
「この部屋は傷だらけだった、それは覚えている。裏から向こうから来て撃って、ここで寝てたから、ここで。この部屋。家は建て替えたが場所は一緒、ここ」。
近くには当時の機銃掃射の痕跡が残る壁があるということです。
空襲で奪われた幼い兄弟の命。終戦まで、あと2週間でした。山田さんは無念さをにじませます。
「あと2週間早く戦争が終わっていたら大丈夫やったんやな。15日だから終戦が。あと2週間。それは親父が言っていた。あと2週間早く終わっていたら大丈夫だった」。
同級生の久司君を空襲で失った久田さんは、その数か月後に父親も亡くしました。戦争から帰還したものの、配属された沖縄・宮古島で激しい空襲にさらされた影響で心身が壊され、自ら命を絶ったと話します。同級生と父親を奪った戦争。久田さんは次のように力を込めました。
「年と共に、余計に忘れられなくなってくる。無差別で機銃掃射しているのと一緒。もう人間と思っていないのではないか。戦争そのものが、もう人間を変えてしまうのではないか。ウクライナへの侵略侵攻が始まって、それを見ると、やっぱり日本の80年前の戦争の罪悪や苦しみが、本当に戦地の苦しみがよく分かる。一番苦労するのは大人ではなく、子どもや女性、戦争があれば。それは同じこと。今から80年前の僕らがいろんなことやっていたことと戦地でやっていることは同じようなことだ」。
これは戦争末期、大津市の瀬田国民学校の子どもたちが描いた絵日記です。そこには空襲の不安にさらされる日常がまざまざと描かれています。県平和祈念館の把握によりますと、県内の空襲で少なくとも50人以上が亡くなり、180人以上が負傷しました。死亡した子どもは、この幼い兄弟だけではありません。80年前に終戦を迎えた戦争も、そして今ある戦争も、敵味方に関係なく、何の罪もない子どもが殺されるのが戦争です。
(報道部 福本雅俊)
遺族や県平和祈念館の話によりますと、兄弟2人は近くの広場へラジオ体操に行き、空襲警報が鳴って家路を急ぎ戻っていました。山田さんは次のように話しました。
「空襲警報が鳴ったので、2人が帰ってきて、親父はここで(縁側で)座っていたみたい。母親が玄関で、早く帰っておいでと下の子に言って、上の子は早いので、怖いので部屋に入って布団に潜って怖いと言って。(飛行機が)上から下がってきて裏からずっと鉄砲で撃って、上の子はまだ息があったが、下の子は玄関で即死。それを母親が抱いていたみたい。誰かを呼んできて(息のあった久司さんを)戸板にのせて病院に運んでいった。その間も上から撃ってくるので、隠れながら行ったので、あかんかったと聞いた」。
翌日7月31日に葬儀が営まれました。その時の久司君の同級生が読んだ弔辞が残っています。
「…僕たちはどんなに悲しいか知れないよ…」
「米英の憎い仇は、どんなことをしてもとって見せる…」
純粋で、悲しい憎しみの連鎖に子どもたちが否応なく巻き込まれていきます。
当時同級生で、葬儀にも出席したという久田政男さん(89)。久田さんは当日、機銃掃射の音が聞こえたと話します。
久田さんは「それはすごい音だったバリバリという音は。もうあの音だけは今でも忘れんわ。ここらでもすごかった」と話しました。
同級生だった久司君は足が速く、陸上のライバルだったと振り返ります。
「久司君とは競争相手でもあるし、何としても負けられんというような気持ちが子ども心にあった。僕より大きいし、足腰、足でも強いし、心臓も強かったと思う。長距離はやっぱり、よう走ったわ。(葬儀の弔辞で)なんとしても青年になったら航空兵になって、やっつけてやるという気持ちの言葉は忘れんな」。
県平和祈念館の田井中洋介副主幹は「この表は滋賀県に空襲が来た記録として確認できた資料の一覧です。7月下旬に相次いで滋賀県に空襲がありました。東近江市の石谷で子ども2人が亡くなったというのは7月30日のことです」と話し、「アメリカの空母ベローウッドから飛び立ったヘルキャットという艦載機が滋賀県の上空にやって来て、八日市飛行場南東にあった工場を攻撃したと記録があり、その攻撃の中で巻き添えになったとみられます」と説明しました。
1945年7月には、西日本各地をはじめ、県内へも米軍機による空襲がありました。航空機に搭載されている機銃は、船舶や列車、車両などを破壊する威力がありました。そんな恐ろしい銃弾が幼い兄弟を襲ったのです。
これは米海軍の空母「ベローウッド」の戦闘報告書です。7月30日、艦載機による攻撃について記載があります。しかし、この幼い兄弟の死と、目前で我が子を失った親の悲しみは、どこにも記されていません。
弟の山田さんは戦後生まれで、物心つくまで兄2人の存在を知りませんでした。
「親は話さなかった。やっぱり思い出すのがつらかったからだと思う。聞いても、これは何やと言うと、それの答えが出るだけで、こうやったこうやったと言うことはあまり聞いたことない」。
しかし、山田さんは、言葉にならない深い悲しみを抱えた両親のことが、胸に残っていると言います。「雨が降って(機銃掃射で穴があいた所から)雨漏りがしても、何もせずにぼーっとそこに座っていた。雨が降っても何もせずに濡れっぱなしでずっといたと。(父親は)テレビで戦争のことが流れると泣いていた」。
山田さんは、銃撃のすさまじさを物語る穴のあいた鴨居や削れた柱をよく覚えていると話します。家は改築して、今は空襲の痕跡は残っていませんが、久司君が撃たれた部屋の位置は、変わっていないということです。
「この部屋は傷だらけだった、それは覚えている。裏から向こうから来て撃って、ここで寝てたから、ここで。この部屋。家は建て替えたが場所は一緒、ここ」。
近くには当時の機銃掃射の痕跡が残る壁があるということです。
空襲で奪われた幼い兄弟の命。終戦まで、あと2週間でした。山田さんは無念さをにじませます。
「あと2週間早く戦争が終わっていたら大丈夫やったんやな。15日だから終戦が。あと2週間。それは親父が言っていた。あと2週間早く終わっていたら大丈夫だった」。
同級生の久司君を空襲で失った久田さんは、その数か月後に父親も亡くしました。戦争から帰還したものの、配属された沖縄・宮古島で激しい空襲にさらされた影響で心身が壊され、自ら命を絶ったと話します。同級生と父親を奪った戦争。久田さんは次のように力を込めました。
「年と共に、余計に忘れられなくなってくる。無差別で機銃掃射しているのと一緒。もう人間と思っていないのではないか。戦争そのものが、もう人間を変えてしまうのではないか。ウクライナへの侵略侵攻が始まって、それを見ると、やっぱり日本の80年前の戦争の罪悪や苦しみが、本当に戦地の苦しみがよく分かる。一番苦労するのは大人ではなく、子どもや女性、戦争があれば。それは同じこと。今から80年前の僕らがいろんなことやっていたことと戦地でやっていることは同じようなことだ」。
これは戦争末期、大津市の瀬田国民学校の子どもたちが描いた絵日記です。そこには空襲の不安にさらされる日常がまざまざと描かれています。県平和祈念館の把握によりますと、県内の空襲で少なくとも50人以上が亡くなり、180人以上が負傷しました。死亡した子どもは、この幼い兄弟だけではありません。80年前に終戦を迎えた戦争も、そして今ある戦争も、敵味方に関係なく、何の罪もない子どもが殺されるのが戦争です。
(報道部 福本雅俊)

2025年7月29日(火) 18:47
冷凍庫から女性の遺体 被告3人起訴内容認める
今年4月、長浜市の住宅で冷凍庫から女性の遺体が見つかった事件で、死体遺棄や死体遺棄ほう助の罪に問われている夫ら3人の初公判が28日、大津地裁で開かれました。
3人はいずれも、「間違いありません」と起訴内容を認めました。
死体遺棄の罪で起訴されているのは、亡くなった女性の夫(63歳)。
死体遺棄ほう助の罪で起訴されているのは、長浜市四ツ塚町の男(72歳)と、息子(49歳)です。
起訴状などによりますと、2020年9月7日頃、夫は妻(当時53歳)が亡くなったことを知りながら、長浜市四ツ塚町にある親子の自宅の冷凍庫に、今年4月2日まで4年以上にわたって遺体を放置したとされています。
また、この親子はその間、冷凍庫の電気代を負担し、周辺に消臭剤をまくなどして、夫の死体遺棄を手助けしたとされています。29日の初公判で3人は、いずれも「間違いありません」と起訴内容を認めました。
また検察側は冒頭陳述で、亡くなった女性は金銭トラブルをきっかけに親族から暴力を受けていて、夫は定期的に家に来ていた母親のヘルパーに女性のあざが見つかることを恐れ、親戚である親子の家に女性を住まわすようになったと指摘。
その後も女性は、親族からの指示を受けた親子から暴力を受け、容体が悪化し死亡したとしました。死因はわかっていません。
次回の公判は、9月16日に行われる予定です。
3人はいずれも、「間違いありません」と起訴内容を認めました。
死体遺棄の罪で起訴されているのは、亡くなった女性の夫(63歳)。
死体遺棄ほう助の罪で起訴されているのは、長浜市四ツ塚町の男(72歳)と、息子(49歳)です。
起訴状などによりますと、2020年9月7日頃、夫は妻(当時53歳)が亡くなったことを知りながら、長浜市四ツ塚町にある親子の自宅の冷凍庫に、今年4月2日まで4年以上にわたって遺体を放置したとされています。
また、この親子はその間、冷凍庫の電気代を負担し、周辺に消臭剤をまくなどして、夫の死体遺棄を手助けしたとされています。29日の初公判で3人は、いずれも「間違いありません」と起訴内容を認めました。
また検察側は冒頭陳述で、亡くなった女性は金銭トラブルをきっかけに親族から暴力を受けていて、夫は定期的に家に来ていた母親のヘルパーに女性のあざが見つかることを恐れ、親戚である親子の家に女性を住まわすようになったと指摘。
その後も女性は、親族からの指示を受けた親子から暴力を受け、容体が悪化し死亡したとしました。死因はわかっていません。
次回の公判は、9月16日に行われる予定です。

2025年7月29日(火) 18:26
新ごみ処理施設「トンネルコンポスト方式」中止方針を決定
彦根・愛荘・豊郷・甲良・多賀の1市4町でつくる広域行政組合は、新たに建設するごみ処理施設について、これまで検討が進められてきた「トンネルコンポスト方式」を中止する方針を決定しました。前の彦根市長からの方針転換となります。
28日は、3回目の管理者会議が開かれました。
ごみを微生物の発酵で、乾燥・分解する「トンネルコンポスト方式」については、4月の彦根市長選挙で、田島市長が見直しを訴えて初当選。
6月に開かれた第1回の会議では、田島市長が4町の町長に、環境省を訪れた結果、この方式では交付金2分の1は難しいという回答だったと説明し、見直し・中止を提案していました。
非公開で行われた28日の会議終了後、田島市長は「トンネルコンポスト方式による計画・施設整備については今回、中止する方針と決定しました」と述べました。
田島市長によりますと、4町の町長からは、交付金2分の1の実現が難しい以上「トンネルコンポスト方式」で進めていくのは困難といった意見などが出されたということです。
老朽化が進み、新たな施設整備が急務となっているごみ処理場。今後について田島市長は「焼却方式を基本として考えていくが、減額できる手法については、今後さらに検討を重ねるということで(4町に)了承をいただいた」と述べました。
組合では、8月に開かれる組合の議会に、すでに計上されている「トンネルコンポスト方式」に伴う実証実験の費用・約440万円を減額する補正予算案を提出することにしています。
28日は、3回目の管理者会議が開かれました。
ごみを微生物の発酵で、乾燥・分解する「トンネルコンポスト方式」については、4月の彦根市長選挙で、田島市長が見直しを訴えて初当選。
6月に開かれた第1回の会議では、田島市長が4町の町長に、環境省を訪れた結果、この方式では交付金2分の1は難しいという回答だったと説明し、見直し・中止を提案していました。
非公開で行われた28日の会議終了後、田島市長は「トンネルコンポスト方式による計画・施設整備については今回、中止する方針と決定しました」と述べました。
田島市長によりますと、4町の町長からは、交付金2分の1の実現が難しい以上「トンネルコンポスト方式」で進めていくのは困難といった意見などが出されたということです。
老朽化が進み、新たな施設整備が急務となっているごみ処理場。今後について田島市長は「焼却方式を基本として考えていくが、減額できる手法については、今後さらに検討を重ねるということで(4町に)了承をいただいた」と述べました。
組合では、8月に開かれる組合の議会に、すでに計上されている「トンネルコンポスト方式」に伴う実証実験の費用・約440万円を減額する補正予算案を提出することにしています。

2025年7月28日(月) 19:57
警察・消防と協力 中学校で子どもたちを守る訓練
草津市の高穂中学校では28日、教職員らが不審者の侵入など不測の事態から子供たちの安全を守るための訓練が行われました。
このうち不審者対応訓練は、校内に生徒の関係者を名乗る人物が侵入し、生徒との面会を求めて暴れ出すという想定で行われました。
教員らはナイフを振り回す不審者をさすまたを使って押さえつけるまでの一連の流れを確認しました。
また教室では、内線を使った職員室への連絡や机やいすなどでバリケードを作るなど、生徒たちの安全を確保する訓練を行いました。
そして訓練の終了後には、講師を務めた警察官が、さすまたのより効果的な使用方法などをアドバイスしました。
この他、消防訓練も行われ、教職員らが怪我の応急処置の方法やAEDの使い方、消火設備の使い方などを消防隊員から学びました。
このうち不審者対応訓練は、校内に生徒の関係者を名乗る人物が侵入し、生徒との面会を求めて暴れ出すという想定で行われました。
教員らはナイフを振り回す不審者をさすまたを使って押さえつけるまでの一連の流れを確認しました。
また教室では、内線を使った職員室への連絡や机やいすなどでバリケードを作るなど、生徒たちの安全を確保する訓練を行いました。
そして訓練の終了後には、講師を務めた警察官が、さすまたのより効果的な使用方法などをアドバイスしました。
この他、消防訓練も行われ、教職員らが怪我の応急処置の方法やAEDの使い方、消火設備の使い方などを消防隊員から学びました。

2025年7月28日(月) 19:46
陸上自衛隊・砲弾の着弾不明問題「基本動作の不備」が原因
高島市の陸上自衛隊饗庭野演習場で射撃訓練中に砲弾1発の弾着が不明となった問題で、陸上自衛隊は26日、高島市長や住民らに対して事故原因が人的なミスだったと説明しました。
この問題は、今年2月3日、陸上自衛隊の饗庭野演習場で、155ミリりゅう弾砲3門の射撃訓練中に発射した1発の砲弾の行方が分からなくなったもので、陸上自衛隊は目標としていた区域から西へ約2キロ離れた演習場内で見つかった金属片が、不明となっていた砲弾の一部だったと7月17日に発表しました。
説明によりますと、一つの砲弾に火薬を1個だけ装填すべきなのに2個装填して発射したことで、砲弾の飛距離がのびたことが原因と判明。
火薬を装填する際に砲身内を目視で確認するなど基本的な動作を怠っていたということです。
再発防止策として、饗庭野演習場で同じ榴弾砲を発射する際は、火薬1個と砲弾1個を1対ずつ同じ場所に置くことや、陸上自衛隊全体で使う教本を改正して火薬を詰める場所などを目視で確認することを明記したということです。
高島市などによりますと、饗庭野演習場では2015年7月から2021年6月までの間に、重機関銃の跳ねた銃弾が民家の屋根を壊したり、迫撃砲の砲弾が演習場外に着弾したりする事案が4件発生しています。
今回の問題も含めて5件とも人的なミスが原因でした。
高島市・今城市長は「今回の事案は5度目ということで、どれもヒューマンエラーということなので、そのつど講じられてきた安全対策が生かされなかったということは、まず重大なことだと受け止めている。原因究明と再発防止策については、これがしっかりと安全教育も含めて、実行されなければ意味がないと思っているので、そこが何よりも重要だと思う」と述べました。
なお、高島市によりますと、陸上自衛隊から実弾射撃訓練の再開を求めるため、30日に高島市を訪問したいとの申し入れがあったということです。
この問題は、今年2月3日、陸上自衛隊の饗庭野演習場で、155ミリりゅう弾砲3門の射撃訓練中に発射した1発の砲弾の行方が分からなくなったもので、陸上自衛隊は目標としていた区域から西へ約2キロ離れた演習場内で見つかった金属片が、不明となっていた砲弾の一部だったと7月17日に発表しました。
説明によりますと、一つの砲弾に火薬を1個だけ装填すべきなのに2個装填して発射したことで、砲弾の飛距離がのびたことが原因と判明。
火薬を装填する際に砲身内を目視で確認するなど基本的な動作を怠っていたということです。
再発防止策として、饗庭野演習場で同じ榴弾砲を発射する際は、火薬1個と砲弾1個を1対ずつ同じ場所に置くことや、陸上自衛隊全体で使う教本を改正して火薬を詰める場所などを目視で確認することを明記したということです。
高島市などによりますと、饗庭野演習場では2015年7月から2021年6月までの間に、重機関銃の跳ねた銃弾が民家の屋根を壊したり、迫撃砲の砲弾が演習場外に着弾したりする事案が4件発生しています。
今回の問題も含めて5件とも人的なミスが原因でした。
高島市・今城市長は「今回の事案は5度目ということで、どれもヒューマンエラーということなので、そのつど講じられてきた安全対策が生かされなかったということは、まず重大なことだと受け止めている。原因究明と再発防止策については、これがしっかりと安全教育も含めて、実行されなければ意味がないと思っているので、そこが何よりも重要だと思う」と述べました。
なお、高島市によりますと、陸上自衛隊から実弾射撃訓練の再開を求めるため、30日に高島市を訪問したいとの申し入れがあったということです。

2025年7月28日(月) 18:47
複十字シール運動 副知事に募金活度などへの協力を要請
結核を中心とした胸の病気をなくそうと募金活動を行う「複十字シール運動」の滋賀県内の推進団体が28日、滋賀県庁を訪れ岸本織江副知事に活動への協力を要請しました。
県庁を訪れたのは、複十字シール運動を推進する滋賀県健康づくり財団と滋賀県地域女性団体連合会の関係者ら7人です。
複十字は、結核予防運動の世界共通のシンボルで、結核を中心とする胸の病気の啓発や海外での結核対策支援などの資金を募るため、国内でも1952年から複十字シール運動が展開されています。
県庁を訪れた財団の山元雅司理事長は、出迎えた岸本副知事に、県内の結核患者の発生状況などを説明するとともに活動への協力を求めました。全国的に結核の患者は減る傾向にありますが、未だに県内でも年間で90人あまりの新たな患者が治療を受けているということです。
運動は、8月1日から年末まで行われ、財団などでは期間中にイベント会場での募金活動などを行うことにしています。
県庁を訪れたのは、複十字シール運動を推進する滋賀県健康づくり財団と滋賀県地域女性団体連合会の関係者ら7人です。
複十字は、結核予防運動の世界共通のシンボルで、結核を中心とする胸の病気の啓発や海外での結核対策支援などの資金を募るため、国内でも1952年から複十字シール運動が展開されています。
県庁を訪れた財団の山元雅司理事長は、出迎えた岸本副知事に、県内の結核患者の発生状況などを説明するとともに活動への協力を求めました。全国的に結核の患者は減る傾向にありますが、未だに県内でも年間で90人あまりの新たな患者が治療を受けているということです。
運動は、8月1日から年末まで行われ、財団などでは期間中にイベント会場での募金活動などを行うことにしています。

2025年7月27日(日) 18:17
楽しく学ぼう「おおつエコフェスタ」
大津市では27日、環境やエネルギ―について家族で学ぶイベントが開かれました。この「おおつエコフェスタ」は、夏休みにあわせて毎年、大津市が開いているものです。
27日は、環境団体や企業などから合わせて22のブースが出され、ピアザ淡海の会場は、多くの家族連れらで賑わいました。
出展ブースのうち、「お買い物ゲーム」では、ゲーム感覚で買う商品を選び、日々の買い物も環境への配慮につながると学んでいました。また、別のブースでは、自宅の家電や断熱材などの状況から、地球温暖化の防止につながる暮らし方の提案を受けていました。
他にも、電気の仕組みを学ぶ実験や、びわ湖のさかな釣りゲームなどもあり、参加者が家族で楽しみながら、環境についての理解を深めていました。
27日は、環境団体や企業などから合わせて22のブースが出され、ピアザ淡海の会場は、多くの家族連れらで賑わいました。
出展ブースのうち、「お買い物ゲーム」では、ゲーム感覚で買う商品を選び、日々の買い物も環境への配慮につながると学んでいました。また、別のブースでは、自宅の家電や断熱材などの状況から、地球温暖化の防止につながる暮らし方の提案を受けていました。
他にも、電気の仕組みを学ぶ実験や、びわ湖のさかな釣りゲームなどもあり、参加者が家族で楽しみながら、環境についての理解を深めていました。

2025年7月27日(日) 18:12
地域のヒーロー!消防団 訓練大会開催
東近江市では、27日、県内の消防団が参加し消火の技術を競う訓練大会が行われました。この訓練大会は、消防団員の日ごろの練習の成果を披露する場として、毎年行われており、今年で60回目を迎えました。27日の大会では、県内の消防団から18のチーム、延べ80人が参加し、消防ポンプ車や小型ポンプを使って標的を倒すまでの時間と、その操作の正確さが競われました。団員らの連携と標的に放水する確実な技術に、会場からは大きな拍手が送られていました。
県内では、約7200人の消防団員が活動していますが、その数は減少傾向にあり、大きな課題となっています。滋賀県 防災危機管理局 田中大さんは、「火災現場での活動も期待されているが、大規模災害における地域防災の要として地域住民の初期における救助・避難活動を担っていただく存在なので、消防団の活性化が重要。」と話していました。
県内では、約7200人の消防団員が活動していますが、その数は減少傾向にあり、大きな課題となっています。滋賀県 防災危機管理局 田中大さんは、「火災現場での活動も期待されているが、大規模災害における地域防災の要として地域住民の初期における救助・避難活動を担っていただく存在なので、消防団の活性化が重要。」と話していました。

2025年7月26日(土) 19:18
パン屋さん体験
びわ湖大津プリンスホテルで、子どもを対象にした「パン屋さん体験」が開かれました。
体験会は、ホテルが夏休みの自由研究や絵日記などに活用してもらおうと開催し、子どもら約30人が参加しました。パンの形は愛らしいビワコオオナマズ。
子どもたちは、パン職人の指導を受けながら、生地を手でこねてのばし、丁寧に円錐形の器具に巻きつけて形を整えていました。
目やヒレにあたる部分はクッキー生地で表現。その後、県内の農家がつくったトマトを使ったカスタードクリームをたっぷりと中に入れて、チョコレートで目やリボンも作っていました。
会場はホテル最上階で、参加者は、びわ湖を臨む壮大な光景も楽しんでいました。
体験会は、ホテルが夏休みの自由研究や絵日記などに活用してもらおうと開催し、子どもら約30人が参加しました。パンの形は愛らしいビワコオオナマズ。
子どもたちは、パン職人の指導を受けながら、生地を手でこねてのばし、丁寧に円錐形の器具に巻きつけて形を整えていました。
目やヒレにあたる部分はクッキー生地で表現。その後、県内の農家がつくったトマトを使ったカスタードクリームをたっぷりと中に入れて、チョコレートで目やリボンも作っていました。
会場はホテル最上階で、参加者は、びわ湖を臨む壮大な光景も楽しんでいました。

2025年7月25日(金) 19:09
湖東記念病院 国賠訴訟 地裁判決受けて 県は控訴せず
殺人の罪で12年間服役した後、再審無罪となった湖東記念病院元看護助手の西山美香さんが、国と滋賀県に賠償を求めていた裁判は、7月17日、大津地裁が県警の不当な捜査を認め、滋賀県に約3100万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。この判決について県は25日、控訴をしない考えを明らかにしました。
県警本部 池内久晃本部長は25日の会見で「被告・滋賀県の主張が認められていない部分はありますが、今回の判決内容を重く受け止め、原告のご心労やご負担にも思いをいたし、控訴しないことと致しました。」と述べ、大津地裁の判決を受け入れ、控訴しない考えを明らかにしました。
この裁判は、2020年のやり直しの裁判=再審で、殺人罪の無罪が確定したことを受け、西山さんが県警や検察に違法行為があったとして、国と県に損害賠償を求めていたものです。
7月17日の判決で大津地裁は、警察官による違法な取り調べがあったことを認め、県に対し、約3100万円の賠償を命じました。
判決後、西山さん側は県に対して控訴しないよう求める申し入れ書を提出しており、県の対応が注目されていました。
控訴しない方針を決めたことについて三日月知事は、県警の違法性を認めた上で、西山さんの思いを大切にしながら今後対応していく考えを示しました。
県警本部 池内久晃本部長は25日の会見で「被告・滋賀県の主張が認められていない部分はありますが、今回の判決内容を重く受け止め、原告のご心労やご負担にも思いをいたし、控訴しないことと致しました。」と述べ、大津地裁の判決を受け入れ、控訴しない考えを明らかにしました。
この裁判は、2020年のやり直しの裁判=再審で、殺人罪の無罪が確定したことを受け、西山さんが県警や検察に違法行為があったとして、国と県に損害賠償を求めていたものです。
7月17日の判決で大津地裁は、警察官による違法な取り調べがあったことを認め、県に対し、約3100万円の賠償を命じました。
判決後、西山さん側は県に対して控訴しないよう求める申し入れ書を提出しており、県の対応が注目されていました。
控訴しない方針を決めたことについて三日月知事は、県警の違法性を認めた上で、西山さんの思いを大切にしながら今後対応していく考えを示しました。

2025年7月25日(金) 19:04
滋賀県中学校夏季総体 各地で熱戦始まる
滋賀県中学校夏季総合体育大会が25日から多くの競技で本格的に始まり、各会場では選手らが日頃の練習の成果を精いっぱい発揮していました。
このうち、今年の秋の国スポ・障スポのメイン会場となる彦根市の平和堂HATOスタジアムでは陸上競技が行われました。
暑い日差しの中、トラックやフィールドでは、選手らが近畿大会や全国大会への出場を目指して、ひたむきに競技に挑んでいました。
スタンドのチームのメンバーや保護者らからは熱心な声援が送られ、全国大会出場の標準記録を超える記録が出るたびに大きな歓声が起こっていました。
関係者によりますと連日の猛暑への対応として、競技の開始時間を早めたり休憩時間を多くとったりするなどの工夫をして大会を運営しているということです。
なお、今年の中学校夏季総体は、25日から2日間を中心に県内各地で19競技が行われ、およそ7300人の生徒らが参加することになっています。
このうち、今年の秋の国スポ・障スポのメイン会場となる彦根市の平和堂HATOスタジアムでは陸上競技が行われました。
暑い日差しの中、トラックやフィールドでは、選手らが近畿大会や全国大会への出場を目指して、ひたむきに競技に挑んでいました。
スタンドのチームのメンバーや保護者らからは熱心な声援が送られ、全国大会出場の標準記録を超える記録が出るたびに大きな歓声が起こっていました。
関係者によりますと連日の猛暑への対応として、競技の開始時間を早めたり休憩時間を多くとったりするなどの工夫をして大会を運営しているということです。
なお、今年の中学校夏季総体は、25日から2日間を中心に県内各地で19競技が行われ、およそ7300人の生徒らが参加することになっています。

2025年7月25日(金) 18:44
国スポ・障スポを前に 滋賀県出身のパラリンピアンが対談
今年秋に滋賀県で開催される国スポ・障スポを前に7月3日、滋賀県出身のパラリンピアンらが滋賀銀行を訪れました。
久保田真也 頭取の元を訪れ対談を行ったのは、マラソンのパラアスリートの道下美里選手と滋賀県出身・滋賀銀行に所属する近藤寛子選手の2人です。
対談では、国スポ・障スポの意義などを話題に、久保田頭取は、スポーツ選手は自身との戦いだとした上で、「そういった意識が県民にも広がり、県が推進する『健康しが』を一層推進できるチャンスとして、私たちも応援していきたい」と話していました。
その後、滋賀銀行の行員を対象にした講演会も行われ約100人が参加しました。講演会の中では、参加者から挙がった「走っている時に考えていること」などの質問に答えるなどして、国スポ・障スポ開催に向けた盛り上げに一役買っていました。
道下美里選手「これから世界へ羽ばたく選手が活躍する場所だと思うので、関心を持って大会に応援に来てもらい、選手に注目して見てもらえたら嬉しい。」と話していました。
近藤寛子選手「マラソンとは、違う種目ではあるが、その姿を見てもらって、滋賀県、日本中の共生の社会につながっていけたら嬉しい。頑張ります」と話していました。
なお、近藤選手は、今年の障スポで、陸上競技800メートルと1500メートルに出場する予定です。
久保田真也 頭取の元を訪れ対談を行ったのは、マラソンのパラアスリートの道下美里選手と滋賀県出身・滋賀銀行に所属する近藤寛子選手の2人です。
対談では、国スポ・障スポの意義などを話題に、久保田頭取は、スポーツ選手は自身との戦いだとした上で、「そういった意識が県民にも広がり、県が推進する『健康しが』を一層推進できるチャンスとして、私たちも応援していきたい」と話していました。
その後、滋賀銀行の行員を対象にした講演会も行われ約100人が参加しました。講演会の中では、参加者から挙がった「走っている時に考えていること」などの質問に答えるなどして、国スポ・障スポ開催に向けた盛り上げに一役買っていました。
道下美里選手「これから世界へ羽ばたく選手が活躍する場所だと思うので、関心を持って大会に応援に来てもらい、選手に注目して見てもらえたら嬉しい。」と話していました。
近藤寛子選手「マラソンとは、違う種目ではあるが、その姿を見てもらって、滋賀県、日本中の共生の社会につながっていけたら嬉しい。頑張ります」と話していました。
なお、近藤選手は、今年の障スポで、陸上競技800メートルと1500メートルに出場する予定です。