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2025年6月27日(金) 20:51
戦後80年特集「シベリア抑留 ~終戦は来なかった~」
京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館。終戦後に日本の軍人らがシベリアなどに強制連行され、厳しい寒さと飢えの中で、労働を強いられた歴史を伝えています。
国の推計では、抑留されたのは約57万5000人、日本に帰ってくることができたのは約47万3000人でした。国や県の把握によると、シベリアや樺太などの地域で、少なくとも362人の滋賀県出身者が死亡したということです。
◆教師に勧められて旧満州へ
2000か所以上あったという強制収容所の一つシベリアのイズベストコーワヤで抑留されていた大津市に住む小門(旧姓・田中)義男さん(99)。
15歳になる年に、昭和15年度、1940年度の「満蒙開拓青少年義勇軍」に参加しました。当時、国策として少年らを中国東北部・旧満州に送り込み、開墾作業や軍事訓練に従事させました。
小門さんは、「学校の先生から勧められた。そういうのを勧められる時代だった。軍とつくと軍人になるから隊に変わって、満蒙開拓青少年義勇隊。それまでは満蒙開拓青少年義勇軍だった。いわゆる『関東軍の予備軍』。表向きは農業が主体だけど半分は軍事訓練で、軍隊と同じことやった。迫撃砲までは訓練していた。ほとんどの者が軍国主義の教育を受けて、頭にそれに対する疑惑が全然なかった」と振り返ります。
◆2か月後に終戦 シベリアへ
小門さんによりますと、終戦の約2か月前に現役召集されて陸軍に入り、8月に旧満州の主要都市ハルビンへ移動しました。「皆それぞれに弾を持てるだけ持たせ、私も弾帯をたくさんタスキ掛けに持って、ハルビンを死守するために送られた」。
陣地の構築などを行いましたが、1週間ほどで終戦を迎えました。数日後にはソ連兵が来て武装解除させられたと言います。
「軍と行動を共にするなら生命は保障するけど、軍を離れようと思う者は生命の保障はしないというので、軍隊と一緒にいないと、いつ死ぬか分からないので、そのまま軍と行動を共にして捕虜になった」と当時の状況を語りました。
その後、別の集結地などを経て、11月頃に「帰国できる」ということで列車に乗せられました。しかし、違和感が確信に変わったのは、数日後でした。
「汽車の走っている向きが、朝に太陽が出ると西と東が全然最初に思っているのと違う。もう3日目ぐらいから、もうあかんなと思った」。
◆極寒での労働と飢え 忘れえぬ記憶
小門さんが連行されたのはイズベストコーワヤ。マイナス40度にもなる厳しい寒さと飢えの中で、伐採や鉄道敷設の強制労働に従事させられました。課せられた業務は、ほかにもありました。小門さんは、その時の光景は今も、忘れられないと明かしました。
「来いと呼ばれて風呂場へ行った。前の晩に亡くなったら、みんな風呂場へ運ばれる。風呂場は冷房もペーチカ(暖房)もない所だから、一晩か二晩置いておくと凍って扱えるようになる。死体を、どこかに持っていくのだと思ったら、そりに乗せて病院から600㍍ぐらい離れた建物へ引っ張っていった。開けると、たくさん死骸があった。そこへ置けと言われ、置くとガチャンと音がした。『ろう人形』のようになっていた。冬の間は土が凍って埋葬できない。小屋で凍っていたら腐らないから、そこが死骸置き場になっていた。入った時には何とも言えなかったが、死人をかわいそうにと思う今のような感情がわかなかった。自分も死んだらそうなる。これ運べと言われて品物を運んだような記憶だ。でも今、正常に戻ると、あの時そりを引っ張っていったことを何十年たっているけど思い出す」。
また、強制労働ではノルマを課せられ、未達成なら食事を減らされました。生きること、その日食べることに必死だったと話します。
「カエルは目の敵にして獲って、焼くも炊くもせずに食べた。日本の兵隊が来てからカエルがいなくなったと言われるくらい。松の皮を取ると木との間が、スルメと一緒。飯盒でクツクツ炊くと、味はないが腹が膨れる。松の皮は、よく食べた」。
◆大正~昭和~平成~令和を生きて
小門さんが帰国できたのは昭和22年、1947年7月のことでした。やせ細った姿は、迎えに来た家族が、すぐに本人と分からないほどでした。生還できた理由について、発熱で入院し、最初の冬を病院で過ごせたことが大きいと振り返ります。
「その年には、相当たくさん亡くなったと思う。入院したために、最初の冬は栄養失調にならず、何とか病院では食べることができた。それで命が助かった」。
小門さんは、これからの世代に向けて次のように語りました。
「時代に対する疑心暗鬼がなかった。こうして兵隊になって国にために尽くすのが当然とされた。自分を卑下するわけじゃないけど、そういう教育をまともに受け、まともにして、それ一点張りで過ごしてきた人間はあかん。二度と、二度と、こういう時代になってもらったらあかん。自分たちの歩んできた時代にはならないように。視野を広く持って、いろんな事に疑いも持ちながら、やっていかないと、そういう人間にならないと」。
◆抑留者の帰還を待つ家族
一方で、帰還を信じて子どもを待つ母親や、夫を待つ妻ら家族の姿もありました。この「岸壁の妻」として、幼い子どもたちと夫の帰還を祈ってたたずむのは、小谷ちゑさん。
滋賀県に住んでいた女性です。
シベリアに抑留された夫の小谷嘉七さんが、無事に帰ってくることを期待して、子どもと共に舞鶴港に向かいました。当時の心境をつづった手記が残されています。
「主人は消息不明、精神的、肉体的にも疲労極限になったのか、とうとう声が二年余りも出なくなってしまいました」
亡くなったと聞いた後も人違いであってほしいと舞鶴港へ通ったことが記されていました。
写真にうつる嘉一郎さんが記した文には、父への想いがあふれています。
「だいすきなおとうちゃん、ぼくはまいにちおふねがつくのをおかあちゃんとまっております」「ぼくだけおとうちゃんがかへってこないので、たいへんさびしいです」
嘉七さんは1948年9月に死亡したことが確認され、家族は再会できませんでした。ちゑさんは1994年11月に77歳で亡くなりました。
◆祖父の生きた証を求めて
孫にあたる小谷典生さんは、ちゑさんから直接、シベリア抑留のことを聞くことはありませんでした。
「帰りの方が体も気持ちも重かったと思うので、そういう思いを何度も何度も舞鶴に向かってしていたというのは‥-。子ども2人抱えながら、どうやって生きていこうと考えると思う。もっと生きているうちに、いろいろ聞いておけばよかったなという思いがある。僕も小さかったけれど」。
シベリア抑留が教科書の中の話でなくなったのは、20代後半の頃に父から聞いた一言がきっかけでした。
小谷さんは「(父が)舞鶴に行きたいと言い出して、なぜ?という話になった。自分の写真が飾ってあって見に行きたいと。理由を父から聞いて、自分がこの話を知ることになった。自分のおじいちゃんは、どんな人だったのか、どんなことをしていたのか、どんな思いだったのか、知りたくなった」と話しました。
◆旧ソ連文書で触れた祖父の面影
それからインターネットで調べたり、資料の開示を請求したりして、祖父・嘉七さんの面影を追い始めました。国を通じて入手した抑留当時の旧ソ連の文書には、軍歴や病気治療の内容をはじめ、死亡日時などが細かく記されていました。
小谷さんは、その一枚に書かれていた文字に目を奪われました。
「ここに、おそらくおじいちゃん直筆のサインだと思う。生きていた証。こんな字を書いていたんだと思う。生きていたおじいちゃんに触れている気がする」。
小谷さんは、嘉七さんの生きた証を今も探し続けています。
「生きてたんだと、やっと自分の中で解釈できた。それまで遺影の中の軍服着たこわそうな人というイメージだった。笑顔の写真もあって。温かい気持ちになって次々と資料を集めたくなった」。
◆命のつながり 伝える
戦後80年と言われることについて、小谷さんは次のように力を込めました。
「いろいろと資料がどんどん出てきて、やっぱり終わったと、戦後だという感覚がしない。まだまだ新しい資料が出てきたら、そこから新しいおじいちゃん像がスタートする感覚。生きてきた足跡をたどったことで、自分の中で命がつながっているという感覚がある。同じような感覚を子どもたちも持ってほしい。やっぱり歴史の教科書で出てくること以外の、もっと身近にあること。誰にでもおじいちゃんはいて先祖がいる。身近な先祖を掘り下げていくことが、やっぱり大事なことだと思う。家族の中の歴史でいいと思う。それが伝えていくということじゃないかと思う」。
(報道部 福本雅俊)
国の推計では、抑留されたのは約57万5000人、日本に帰ってくることができたのは約47万3000人でした。国や県の把握によると、シベリアや樺太などの地域で、少なくとも362人の滋賀県出身者が死亡したということです。
◆教師に勧められて旧満州へ
2000か所以上あったという強制収容所の一つシベリアのイズベストコーワヤで抑留されていた大津市に住む小門(旧姓・田中)義男さん(99)。
15歳になる年に、昭和15年度、1940年度の「満蒙開拓青少年義勇軍」に参加しました。当時、国策として少年らを中国東北部・旧満州に送り込み、開墾作業や軍事訓練に従事させました。
小門さんは、「学校の先生から勧められた。そういうのを勧められる時代だった。軍とつくと軍人になるから隊に変わって、満蒙開拓青少年義勇隊。それまでは満蒙開拓青少年義勇軍だった。いわゆる『関東軍の予備軍』。表向きは農業が主体だけど半分は軍事訓練で、軍隊と同じことやった。迫撃砲までは訓練していた。ほとんどの者が軍国主義の教育を受けて、頭にそれに対する疑惑が全然なかった」と振り返ります。
◆2か月後に終戦 シベリアへ
小門さんによりますと、終戦の約2か月前に現役召集されて陸軍に入り、8月に旧満州の主要都市ハルビンへ移動しました。「皆それぞれに弾を持てるだけ持たせ、私も弾帯をたくさんタスキ掛けに持って、ハルビンを死守するために送られた」。
陣地の構築などを行いましたが、1週間ほどで終戦を迎えました。数日後にはソ連兵が来て武装解除させられたと言います。
「軍と行動を共にするなら生命は保障するけど、軍を離れようと思う者は生命の保障はしないというので、軍隊と一緒にいないと、いつ死ぬか分からないので、そのまま軍と行動を共にして捕虜になった」と当時の状況を語りました。
その後、別の集結地などを経て、11月頃に「帰国できる」ということで列車に乗せられました。しかし、違和感が確信に変わったのは、数日後でした。
「汽車の走っている向きが、朝に太陽が出ると西と東が全然最初に思っているのと違う。もう3日目ぐらいから、もうあかんなと思った」。
◆極寒での労働と飢え 忘れえぬ記憶
小門さんが連行されたのはイズベストコーワヤ。マイナス40度にもなる厳しい寒さと飢えの中で、伐採や鉄道敷設の強制労働に従事させられました。課せられた業務は、ほかにもありました。小門さんは、その時の光景は今も、忘れられないと明かしました。
「来いと呼ばれて風呂場へ行った。前の晩に亡くなったら、みんな風呂場へ運ばれる。風呂場は冷房もペーチカ(暖房)もない所だから、一晩か二晩置いておくと凍って扱えるようになる。死体を、どこかに持っていくのだと思ったら、そりに乗せて病院から600㍍ぐらい離れた建物へ引っ張っていった。開けると、たくさん死骸があった。そこへ置けと言われ、置くとガチャンと音がした。『ろう人形』のようになっていた。冬の間は土が凍って埋葬できない。小屋で凍っていたら腐らないから、そこが死骸置き場になっていた。入った時には何とも言えなかったが、死人をかわいそうにと思う今のような感情がわかなかった。自分も死んだらそうなる。これ運べと言われて品物を運んだような記憶だ。でも今、正常に戻ると、あの時そりを引っ張っていったことを何十年たっているけど思い出す」。
また、強制労働ではノルマを課せられ、未達成なら食事を減らされました。生きること、その日食べることに必死だったと話します。
「カエルは目の敵にして獲って、焼くも炊くもせずに食べた。日本の兵隊が来てからカエルがいなくなったと言われるくらい。松の皮を取ると木との間が、スルメと一緒。飯盒でクツクツ炊くと、味はないが腹が膨れる。松の皮は、よく食べた」。
◆大正~昭和~平成~令和を生きて
小門さんが帰国できたのは昭和22年、1947年7月のことでした。やせ細った姿は、迎えに来た家族が、すぐに本人と分からないほどでした。生還できた理由について、発熱で入院し、最初の冬を病院で過ごせたことが大きいと振り返ります。
「その年には、相当たくさん亡くなったと思う。入院したために、最初の冬は栄養失調にならず、何とか病院では食べることができた。それで命が助かった」。
小門さんは、これからの世代に向けて次のように語りました。
「時代に対する疑心暗鬼がなかった。こうして兵隊になって国にために尽くすのが当然とされた。自分を卑下するわけじゃないけど、そういう教育をまともに受け、まともにして、それ一点張りで過ごしてきた人間はあかん。二度と、二度と、こういう時代になってもらったらあかん。自分たちの歩んできた時代にはならないように。視野を広く持って、いろんな事に疑いも持ちながら、やっていかないと、そういう人間にならないと」。
◆抑留者の帰還を待つ家族
一方で、帰還を信じて子どもを待つ母親や、夫を待つ妻ら家族の姿もありました。この「岸壁の妻」として、幼い子どもたちと夫の帰還を祈ってたたずむのは、小谷ちゑさん。
滋賀県に住んでいた女性です。
シベリアに抑留された夫の小谷嘉七さんが、無事に帰ってくることを期待して、子どもと共に舞鶴港に向かいました。当時の心境をつづった手記が残されています。
「主人は消息不明、精神的、肉体的にも疲労極限になったのか、とうとう声が二年余りも出なくなってしまいました」
亡くなったと聞いた後も人違いであってほしいと舞鶴港へ通ったことが記されていました。
写真にうつる嘉一郎さんが記した文には、父への想いがあふれています。
「だいすきなおとうちゃん、ぼくはまいにちおふねがつくのをおかあちゃんとまっております」「ぼくだけおとうちゃんがかへってこないので、たいへんさびしいです」
嘉七さんは1948年9月に死亡したことが確認され、家族は再会できませんでした。ちゑさんは1994年11月に77歳で亡くなりました。
◆祖父の生きた証を求めて
孫にあたる小谷典生さんは、ちゑさんから直接、シベリア抑留のことを聞くことはありませんでした。
「帰りの方が体も気持ちも重かったと思うので、そういう思いを何度も何度も舞鶴に向かってしていたというのは‥-。子ども2人抱えながら、どうやって生きていこうと考えると思う。もっと生きているうちに、いろいろ聞いておけばよかったなという思いがある。僕も小さかったけれど」。
シベリア抑留が教科書の中の話でなくなったのは、20代後半の頃に父から聞いた一言がきっかけでした。
小谷さんは「(父が)舞鶴に行きたいと言い出して、なぜ?という話になった。自分の写真が飾ってあって見に行きたいと。理由を父から聞いて、自分がこの話を知ることになった。自分のおじいちゃんは、どんな人だったのか、どんなことをしていたのか、どんな思いだったのか、知りたくなった」と話しました。
◆旧ソ連文書で触れた祖父の面影
それからインターネットで調べたり、資料の開示を請求したりして、祖父・嘉七さんの面影を追い始めました。国を通じて入手した抑留当時の旧ソ連の文書には、軍歴や病気治療の内容をはじめ、死亡日時などが細かく記されていました。
小谷さんは、その一枚に書かれていた文字に目を奪われました。
「ここに、おそらくおじいちゃん直筆のサインだと思う。生きていた証。こんな字を書いていたんだと思う。生きていたおじいちゃんに触れている気がする」。
小谷さんは、嘉七さんの生きた証を今も探し続けています。
「生きてたんだと、やっと自分の中で解釈できた。それまで遺影の中の軍服着たこわそうな人というイメージだった。笑顔の写真もあって。温かい気持ちになって次々と資料を集めたくなった」。
◆命のつながり 伝える
戦後80年と言われることについて、小谷さんは次のように力を込めました。
「いろいろと資料がどんどん出てきて、やっぱり終わったと、戦後だという感覚がしない。まだまだ新しい資料が出てきたら、そこから新しいおじいちゃん像がスタートする感覚。生きてきた足跡をたどったことで、自分の中で命がつながっているという感覚がある。同じような感覚を子どもたちも持ってほしい。やっぱり歴史の教科書で出てくること以外の、もっと身近にあること。誰にでもおじいちゃんはいて先祖がいる。身近な先祖を掘り下げていくことが、やっぱり大事なことだと思う。家族の中の歴史でいいと思う。それが伝えていくということじゃないかと思う」。
(報道部 福本雅俊)

2025年6月27日(金) 18:34
7月20日投開票 参院選の投票用紙 交付始まる
7月20日に投開票の参議院議員選挙に向けて、滋賀県内の各自治体に送られる投票用紙の交付作業が始まりました。
このうち、配布数が最も多い大津市には、27日正午ごろ、県の選挙管理委員会から投票用紙が届き、市役所内にある会議室に運び込まれました。
交付された投票用紙は、参議院議員選挙の滋賀選挙区用と比例代表用がそれぞれ28万5000枚、視覚障害者用の点字投票用紙がそれぞれ300枚、あわせて57万600枚で、段ボール箱20個分となりました。大津市選挙管理委員会事務局によりますと、投票用紙は投票日の前日までに市内119の投票所に配送されるということです。
第27回参議院議員選挙は、7月3日(木)に公示、7月20日(日)に投開票が行われます。
このうち、配布数が最も多い大津市には、27日正午ごろ、県の選挙管理委員会から投票用紙が届き、市役所内にある会議室に運び込まれました。
交付された投票用紙は、参議院議員選挙の滋賀選挙区用と比例代表用がそれぞれ28万5000枚、視覚障害者用の点字投票用紙がそれぞれ300枚、あわせて57万600枚で、段ボール箱20個分となりました。大津市選挙管理委員会事務局によりますと、投票用紙は投票日の前日までに市内119の投票所に配送されるということです。
第27回参議院議員選挙は、7月3日(木)に公示、7月20日(日)に投開票が行われます。

2025年6月27日(金) 18:22
統計史上最も早く 近畿地方が梅雨明け
27日、近畿地方の梅雨明けが発表されました。統計史上最も早い発表です。
大阪管区気象台は27日、「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。平年より22日も早く、1951年に統計を取り始めてから最も早い発表となりました。
これまで、最も早かった梅雨明けは、1978年の7月3日で、その記録を1週間近くも更新したことになります。
いよいよ夏本番。気温が高い状態が続く見込みです。熱中症に十分お気を付けください。
大阪管区気象台は27日、「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。平年より22日も早く、1951年に統計を取り始めてから最も早い発表となりました。
これまで、最も早かった梅雨明けは、1978年の7月3日で、その記録を1週間近くも更新したことになります。
いよいよ夏本番。気温が高い状態が続く見込みです。熱中症に十分お気を付けください。

2025年6月26日(木) 19:19
約10,000株のアジサイ見ごろ
雨模様が続く中、守山市にある公園では今、アジサイが見ごろを迎えています。
守山市にある「もりやま芦刈園」には、国内外の色とりどりのアジサイ約1万株が植えられています。
園内の手入れを行っている地元・守山のシルバー人材センターによりますと、去年の夏から秋にかけて暑い日が続いた影響で水が足りず新芽が枯れてしまい、例年よりも花が少なくなったということですが、園内各地では約60種類のアジサイが花開いています。
訪れた人は、写真を撮るなど、思い思いに梅雨のアジサイを楽しんでいました。
もりやま芦刈園のアジサイは7月上旬まで見ごろが続くということです。
守山市にある「もりやま芦刈園」には、国内外の色とりどりのアジサイ約1万株が植えられています。
園内の手入れを行っている地元・守山のシルバー人材センターによりますと、去年の夏から秋にかけて暑い日が続いた影響で水が足りず新芽が枯れてしまい、例年よりも花が少なくなったということですが、園内各地では約60種類のアジサイが花開いています。
訪れた人は、写真を撮るなど、思い思いに梅雨のアジサイを楽しんでいました。
もりやま芦刈園のアジサイは7月上旬まで見ごろが続くということです。

2025年6月26日(木) 19:00
6月1日から義務化 職場での熱中症対策を呼びかけ
夏場の猛暑が年々厳しくなる中、6月から職場の熱中症対策が義務化されました。26日朝、大津市内で滋賀労働局らによる周知活動が行われました。
大津市のJR石山駅前では、滋賀労働局と大津労働基準監督署の職員4人が通勤途中の人にウェットティッシュを配って呼びかけを行いました。
厚生労働省は、熱中症による作業者の重篤化を防ぐために労働安全衛生規則が改正し、事業者に対して6月から職場での熱中症対策を義務化しました。熱中症の早期発見のための体制整備や、重篤化を防ぐ措置の実施手順の作成、そして関係作業者への周知を義務づけています。
違反した場合、事業者に対し6ヵ月以下の拘禁刑または、50万円以下の罰金が科されます。
滋賀労働局によりますと、去年、県内で職場での熱中症による労働災害は10件発生し、過去10年間で2番目に多くなったということです。
大津市のJR石山駅前では、滋賀労働局と大津労働基準監督署の職員4人が通勤途中の人にウェットティッシュを配って呼びかけを行いました。
厚生労働省は、熱中症による作業者の重篤化を防ぐために労働安全衛生規則が改正し、事業者に対して6月から職場での熱中症対策を義務化しました。熱中症の早期発見のための体制整備や、重篤化を防ぐ措置の実施手順の作成、そして関係作業者への周知を義務づけています。
違反した場合、事業者に対し6ヵ月以下の拘禁刑または、50万円以下の罰金が科されます。
滋賀労働局によりますと、去年、県内で職場での熱中症による労働災害は10件発生し、過去10年間で2番目に多くなったということです。

2025年6月26日(木) 18:50
彦根・田島市長 新ごみ処理施設の方式見直しを4町長に提案
彦根・愛荘・豊郷・甲良・多賀の1市4町でつくる新しいごみ処理施設について、5月に新たに就任した彦根市の田島一成市長は26日、公式に4町の町長らに、これまで進められてきた「トンネルコンポスト方式」の中止を提案しました。
26日は、新たなごみ処理施設整備の管理者会議が開かれ、彦根市長と愛荘・豊郷・甲良・多賀4町の町長らが出席しました。彦根市の田島市長は、前の市長時代から進められている「トンネルコンポスト方式」の中止を掲げ、4月の市長選挙で初当選しています。26日の会議は非公開で行われ、終了後、取材に応じた田島市長は、就任後、環境省を訪れた結果、この方式では実証実験を行ったとしても交付金2分の1は難しいという回答だったことを説明し、見直し・中止を提案したということです。
今後、8月に開かれる広域行政組合の議会までに、数回、会議を開き協議するとしています。
26日は、新たなごみ処理施設整備の管理者会議が開かれ、彦根市長と愛荘・豊郷・甲良・多賀4町の町長らが出席しました。彦根市の田島市長は、前の市長時代から進められている「トンネルコンポスト方式」の中止を掲げ、4月の市長選挙で初当選しています。26日の会議は非公開で行われ、終了後、取材に応じた田島市長は、就任後、環境省を訪れた結果、この方式では実証実験を行ったとしても交付金2分の1は難しいという回答だったことを説明し、見直し・中止を提案したということです。
今後、8月に開かれる広域行政組合の議会までに、数回、会議を開き協議するとしています。

2025年6月26日(木) 18:32
滋賀県警高速隊×ネクスコ西日本「逆走車両の対応訓練」
頻発している車の逆走事故。県警高速隊とネクスコ西日本は26日、逆走車両への対応訓練を行いました。栗東市にあるネクスコ西日本の滋賀高速道路事務所では、頻発している逆走車両による事故への対応を強化するため、西日本高速道路パトロール関西滋賀基地の隊員と県警高速隊の隊員、あわせて約50人が合同訓練を行いました。
訓練は、駐車場内を高速道路の走行車線と追い越し車線に見立てて行われ、パトロール中に逆走車両を発見したという想定で、状況に分けて3パターンの対応方法が訓練されました。参加した隊員らは、逆走してきた車両に対して、拡声器とパトランプを使って停止するように誘導し、素早くコーンや発煙筒を設置して道を封鎖。
無線で連絡を取りながら他の車両の安全を確保するまでの一連の流れを確認しました。
県警高速隊によりますと、滋賀県内では2023年1月から今年5月末までに、高速道路での逆走が7件発生しているということです。
県警高速隊ではこうした訓練を重ねながら、連携を深めて対応するとしています。
訓練は、駐車場内を高速道路の走行車線と追い越し車線に見立てて行われ、パトロール中に逆走車両を発見したという想定で、状況に分けて3パターンの対応方法が訓練されました。参加した隊員らは、逆走してきた車両に対して、拡声器とパトランプを使って停止するように誘導し、素早くコーンや発煙筒を設置して道を封鎖。
無線で連絡を取りながら他の車両の安全を確保するまでの一連の流れを確認しました。
県警高速隊によりますと、滋賀県内では2023年1月から今年5月末までに、高速道路での逆走が7件発生しているということです。
県警高速隊ではこうした訓練を重ねながら、連携を深めて対応するとしています。

2025年6月25日(水) 19:07
期間限定オープン「日本人メジャーリーガーミュージアム風ショップ」
ドジャースの大谷翔平選手など日本人メジャーリーガーのグッズを販売する店が、県内で初めて草津市の百貨店に期間限定でオープンしました。
大谷選手の等身大のパネルに。
去年、所属するドジャースがワールドシリーズを制したことを記念して、世界で50体・限定販売となったボブルヘッド人形。
草津市の近鉄百貨店草津店に期間限定でオープンしたのは「日本人メジャーリーガー・ミュージアム風ショップ」です。
こちらには、大谷選手を中心にユニフォームや帽子・人形、さらにカブスの鈴木誠也選手や今永昇太投手といった日本人メジャーリーガーのグッズなど300種類・1500点が並びます。
中でも目を引くのは、大谷選手が2022年に成し遂げた2桁勝利2桁ホームランを記録した試合のボール。ベーブルース以来104年ぶりとなる偉業を成し遂げた試合のボールは、770万円で展示販売されています。
さらに、大谷選手が2022年の試合でヒットとフォアボールで出塁した際に踏んだ1塁ベース。
セレクション・インターナショナル広報担当者は「こちらはどなたでもさわっていただくことができます。大谷選手やメジャーリーグの試合を感じていただきたいなと思っています」と話していました。
初日となった25日は、午前中から来店した客がそれぞれ好みのグッズを選び、買い求めていました。
ミュージアム風ショップは29日(日)まで、近鉄百貨店草津店の4階特設会場で開かれています。
大谷選手の等身大のパネルに。
去年、所属するドジャースがワールドシリーズを制したことを記念して、世界で50体・限定販売となったボブルヘッド人形。
草津市の近鉄百貨店草津店に期間限定でオープンしたのは「日本人メジャーリーガー・ミュージアム風ショップ」です。
こちらには、大谷選手を中心にユニフォームや帽子・人形、さらにカブスの鈴木誠也選手や今永昇太投手といった日本人メジャーリーガーのグッズなど300種類・1500点が並びます。
中でも目を引くのは、大谷選手が2022年に成し遂げた2桁勝利2桁ホームランを記録した試合のボール。ベーブルース以来104年ぶりとなる偉業を成し遂げた試合のボールは、770万円で展示販売されています。
さらに、大谷選手が2022年の試合でヒットとフォアボールで出塁した際に踏んだ1塁ベース。
セレクション・インターナショナル広報担当者は「こちらはどなたでもさわっていただくことができます。大谷選手やメジャーリーグの試合を感じていただきたいなと思っています」と話していました。
初日となった25日は、午前中から来店した客がそれぞれ好みのグッズを選び、買い求めていました。
ミュージアム風ショップは29日(日)まで、近鉄百貨店草津店の4階特設会場で開かれています。

2025年6月25日(水) 18:50
死亡事故多発!交通事故防止へ緊急の呼びかけ
6月に入り、滋賀県内で交通死亡事故が相次いでいることを受け、守山市では25日朝、警察官らがドライバーに注意を呼びかけました。
守山市今浜町にあるなぎさ公園前の県道で行われた啓発には、守山警察署の警察官や守山野洲交通安全協会の会員ら、およそ25人が参加しました。
守山警察署管内では6月に入り、10日と12日に交通死亡事故が発生し、合わせて2人が死亡しています。
啓発では「運転に集中を」と書かれた看板や、のぼり旗を掲げながら道行くドライバーに対し、事故への注意を呼びかけました。
また県内全体では、今年に入って24日までに交通事故による死者が25人と、去年の同じ時期より15人増え2.5倍となっています。
守山市今浜町にあるなぎさ公園前の県道で行われた啓発には、守山警察署の警察官や守山野洲交通安全協会の会員ら、およそ25人が参加しました。
守山警察署管内では6月に入り、10日と12日に交通死亡事故が発生し、合わせて2人が死亡しています。
啓発では「運転に集中を」と書かれた看板や、のぼり旗を掲げながら道行くドライバーに対し、事故への注意を呼びかけました。
また県内全体では、今年に入って24日までに交通事故による死者が25人と、去年の同じ時期より15人増え2.5倍となっています。

2025年6月25日(水) 18:39
大規模災害発生に備え 県内企業4社が合同訓練
大規模災害が発生した際に復旧作業や人員輸送を迅速に進めるため、彦根市内では25日、県内企業4社による合同訓練が初めて行われました。
この合同訓練は、関西電力送配電滋賀本部が主催となり、防災協定を結んでいる3社、琵琶湖汽船、近江鉄道、平和堂が参加して行われたものです。
訓練は「大規模災害によって県内の道路が寸断された」という想定で行われ、まずは停電対応用の機材や拠点の開設に必要な資材を船に積み込み、人員とともに湖上輸送する訓練が行われました。
船によって運んだ資材を近江鉄道のバスに積み込み、平和堂本部の駐車場まで陸路で輸送。
空気を入れて膨らませたテントに机やいすを置いて、災害復旧拠点を開設するまでの一連の流れが確認されました。
関西電力送配電滋賀本部では、防災協定を結んでいる企業との連携向上にむけて、今後も継続して訓練を実施していきたいとしています。
この合同訓練は、関西電力送配電滋賀本部が主催となり、防災協定を結んでいる3社、琵琶湖汽船、近江鉄道、平和堂が参加して行われたものです。
訓練は「大規模災害によって県内の道路が寸断された」という想定で行われ、まずは停電対応用の機材や拠点の開設に必要な資材を船に積み込み、人員とともに湖上輸送する訓練が行われました。
船によって運んだ資材を近江鉄道のバスに積み込み、平和堂本部の駐車場まで陸路で輸送。
空気を入れて膨らませたテントに机やいすを置いて、災害復旧拠点を開設するまでの一連の流れが確認されました。
関西電力送配電滋賀本部では、防災協定を結んでいる企業との連携向上にむけて、今後も継続して訓練を実施していきたいとしています。

2025年6月24日(火) 19:10
5粒の重さで真剣勝負!寿長生の郷で「梅狩りグランプリ」
滋賀県大津市にある和菓子メーカーの里山で収穫した梅の重さを競う「梅狩りグランプリ」が開催されました。
和菓子メーカー「叶匠寿庵」が所有する里山「寿長生の郷」では、毎年この時期、梅狩りを体験することができます。収穫できる梅の品種は「城州白」。
大粒で果肉が厚く、モモのような香りが特徴で、和菓子の原料として使われています。
さらに2012年からは、より梅狩りを楽しんでもらおうと「梅狩りグランプリ」を行っていて、22日に開かれた「大人の部」には57人が参加しました。
制限時間は30分。5粒の梅を選んで取り、その総重量を競います。
スタートのホイッスルが鳴ると、参加者は約1万5000平方メートルの梅林に入り、ぎっしりと実った梅の実をじっくりと見定めていました。
見事、優勝したのは、5粒で248グラムを記録した田中辰弥さん。三重県から夫婦で参加し、2人で3位と優勝、という快挙となりました。
叶匠寿庵によりますと、今年の梅の収穫量は不作だった去年の約2倍となり、例年の収穫量に戻る見込みだということです。
和菓子メーカー「叶匠寿庵」が所有する里山「寿長生の郷」では、毎年この時期、梅狩りを体験することができます。収穫できる梅の品種は「城州白」。
大粒で果肉が厚く、モモのような香りが特徴で、和菓子の原料として使われています。
さらに2012年からは、より梅狩りを楽しんでもらおうと「梅狩りグランプリ」を行っていて、22日に開かれた「大人の部」には57人が参加しました。
制限時間は30分。5粒の梅を選んで取り、その総重量を競います。
スタートのホイッスルが鳴ると、参加者は約1万5000平方メートルの梅林に入り、ぎっしりと実った梅の実をじっくりと見定めていました。
見事、優勝したのは、5粒で248グラムを記録した田中辰弥さん。三重県から夫婦で参加し、2人で3位と優勝、という快挙となりました。
叶匠寿庵によりますと、今年の梅の収穫量は不作だった去年の約2倍となり、例年の収穫量に戻る見込みだということです。

2025年6月24日(火) 19:00
旬の果実をその場で堪能 米原でブルーベリー狩り始まる
滋賀県米原市伊吹の果樹園では、今が旬のブルーベリー狩りが始まりました。
実が大きく育った甘酸っぱい夏の果実・ブルーベリー。米原市・伊吹山の麓にある「ブルーベリーガーデン伊吹」では、6月21日からブルーベリー狩りが始まりました。
6月から8月にかけて旬を迎えるブルーベリー。
この果樹園では、約900本・45品種のブルーベリーが栽培され、その場で旬の味覚を楽しむことができます。
初日から、多くの家族連れで賑わい、子どもたちが手の届く高さにあるブルーベリーを夢中で口に運んでいました。
訪れた人は「やわらかくて甘かった。」「毎年来ているが今年もおいしかった。いろんな味が楽しめるから好き。」と初夏の味を楽しんでいました。
ブルーベリーガーデン伊吹のブルーベリー狩りは、8月末までの予定です。
実が大きく育った甘酸っぱい夏の果実・ブルーベリー。米原市・伊吹山の麓にある「ブルーベリーガーデン伊吹」では、6月21日からブルーベリー狩りが始まりました。
6月から8月にかけて旬を迎えるブルーベリー。
この果樹園では、約900本・45品種のブルーベリーが栽培され、その場で旬の味覚を楽しむことができます。
初日から、多くの家族連れで賑わい、子どもたちが手の届く高さにあるブルーベリーを夢中で口に運んでいました。
訪れた人は「やわらかくて甘かった。」「毎年来ているが今年もおいしかった。いろんな味が楽しめるから好き。」と初夏の味を楽しんでいました。
ブルーベリーガーデン伊吹のブルーベリー狩りは、8月末までの予定です。

2025年6月24日(火) 18:51
必勝を願い 地域の高齢者が千羽鶴を球児へ
7月開幕する夏の高校野球滋賀大会を前に、守山市の高校で24日、地域の高齢者が必勝を祈願して折った千羽鶴が球児たちに贈られました。
手作りの千羽鶴と応援メッセージを贈ったのは守山市の高齢者施設「ゆいの里守山デイサービス」の利用者らです。
施設に隣接する守山北高校野球部の部員たちがひたむきに練習する姿に日々元気をもらっている利用者たちが、7月開幕する夏の県大会を前に部員たちを応援しようと24日の壮行会で届けられました。球児たちに贈られた千羽鶴は、5か月もの時間をかけ丹精込めてつくられたという事です。
壮行会では、千羽鶴が樫原直哉主将に手渡され、部員らはそのお礼にと校歌を披露しました。
壮行会の後には、高齢者らは部員らと言葉を交わし交流を深めていました。
夏の高校野球・滋賀大会の組み合わせ抽選会は先ほど行われ、守山北高校は八日市高校との対戦が決まりました。
手作りの千羽鶴と応援メッセージを贈ったのは守山市の高齢者施設「ゆいの里守山デイサービス」の利用者らです。
施設に隣接する守山北高校野球部の部員たちがひたむきに練習する姿に日々元気をもらっている利用者たちが、7月開幕する夏の県大会を前に部員たちを応援しようと24日の壮行会で届けられました。球児たちに贈られた千羽鶴は、5か月もの時間をかけ丹精込めてつくられたという事です。
壮行会では、千羽鶴が樫原直哉主将に手渡され、部員らはそのお礼にと校歌を披露しました。
壮行会の後には、高齢者らは部員らと言葉を交わし交流を深めていました。
夏の高校野球・滋賀大会の組み合わせ抽選会は先ほど行われ、守山北高校は八日市高校との対戦が決まりました。

2025年6月24日(火) 18:46
誰でも、どこでも、自分らしく「男女共同参画週間(6/23~29)」
23日から始まった男女共同参画週間に合わせ、目的や理念を知ってもらおうと、東近江市のスーパーで24日、市内を拠点に活動する女子野球チームも参加して啓発活動が行われました。
男女共同参画週間は、1999年6月23日に公布された「男女共同参画社会基本法」の目的や基本理念を多くの人に知ってもらおうと、内閣府が毎年6月23日からの1週間を周知・啓発期間として実施しているもので、各地で様々な取り組みが行われています。
東近江市のスーパーで行われた啓発には、市の男女共同参画推進員や、市内に拠点を置く女子硬式野球社会人クラブチーム「東近江バイオレッツ」の選手ら、あわせて7人が参加。訪れた買い物客に、啓発品を手渡しながら一人一人が個性を認め合い、誰もが幸せを実感できる社会の実現を訴えました。
男女共同参画週間は、1999年6月23日に公布された「男女共同参画社会基本法」の目的や基本理念を多くの人に知ってもらおうと、内閣府が毎年6月23日からの1週間を周知・啓発期間として実施しているもので、各地で様々な取り組みが行われています。
東近江市のスーパーで行われた啓発には、市の男女共同参画推進員や、市内に拠点を置く女子硬式野球社会人クラブチーム「東近江バイオレッツ」の選手ら、あわせて7人が参加。訪れた買い物客に、啓発品を手渡しながら一人一人が個性を認め合い、誰もが幸せを実感できる社会の実現を訴えました。

2025年6月23日(月) 19:28
世代を超えて"学び合い" 高校生が小学生に水泳授業
学び合いを目的に、草津市では、高校生が小学生に水泳を教える授業が行われました。
滋賀県草津市にある渋川小学校では毎年、隣接する草津東高校の生徒らによる水泳の授業が開かれています。県内の高校では唯一となる体育科の生徒らが行うもので、この日は高校3年生が小学3年生を教えました。
小学3年生は、この学年から大プールを使った水泳となります。まずは水に慣れることを目的に高校生たちが小学生の手を引きながら水泳の楽しさを伝えていました。
互いの学校では今後も、学び合いの場として水泳の授業を続けたいとしています。
滋賀県草津市にある渋川小学校では毎年、隣接する草津東高校の生徒らによる水泳の授業が開かれています。県内の高校では唯一となる体育科の生徒らが行うもので、この日は高校3年生が小学3年生を教えました。
小学3年生は、この学年から大プールを使った水泳となります。まずは水に慣れることを目的に高校生たちが小学生の手を引きながら水泳の楽しさを伝えていました。
互いの学校では今後も、学び合いの場として水泳の授業を続けたいとしています。

2025年6月23日(月) 19:16
いつもの遊び場で 児童たちが間伐体験
滋賀県湖南市の児童たちが23日、学校敷地内の森林で地域住民の指導を受けながら間伐体験を行いました。
石部南小学校4年生の児童約40人が、遊び場となっている学校の裏山で、地域住民でつくるボランティアグループ「みどりのバトンタッチ」の指導を受けながら間伐に挑戦しました。
周囲の状況を確かめて安全に木を倒せる方向を考えてから、高さ約10メートルのヒノキを切っていきました。
児童たちはノコギリの使い方などコツを教わって、協力して懸命に取り組んでいました。
23日は、雷雨の影響で途中で中止となりましたが、今後、木を倒して皮をむき、乾燥させて秋ごろに木工作品に仕上げるということです。
石部南小学校4年生の児童約40人が、遊び場となっている学校の裏山で、地域住民でつくるボランティアグループ「みどりのバトンタッチ」の指導を受けながら間伐に挑戦しました。
周囲の状況を確かめて安全に木を倒せる方向を考えてから、高さ約10メートルのヒノキを切っていきました。
児童たちはノコギリの使い方などコツを教わって、協力して懸命に取り組んでいました。
23日は、雷雨の影響で途中で中止となりましたが、今後、木を倒して皮をむき、乾燥させて秋ごろに木工作品に仕上げるということです。

2025年6月23日(月) 19:07
参院選を前に 選挙違反取締本部を設置
7月3日に公示が予定されている参議院議員選挙を前に23日、滋賀県警本部に選挙違反の「取締本部」が設置されました。
「第27回参議院議員通常選挙違反取締本部」は23日、県警本部に設置され、捜査二課の前に看板が掛けられました。
違反取締本部は、県警本部から約100人、県内12の警察署から約250人の合わせて約350人体制で取り締まりにあたります。
県警によりますと、前回・3年前の参議院議員選挙では、ポスターの文書掲示などで16件の警告がありましたが、検挙されたケースはなかったということです。
一方で、今回の選挙では、22日までに文書掲示で2件の警告があったということです。
参議院議員選挙は、7月3日に公示、20日に投開票される予定です。
「第27回参議院議員通常選挙違反取締本部」は23日、県警本部に設置され、捜査二課の前に看板が掛けられました。
違反取締本部は、県警本部から約100人、県内12の警察署から約250人の合わせて約350人体制で取り締まりにあたります。
県警によりますと、前回・3年前の参議院議員選挙では、ポスターの文書掲示などで16件の警告がありましたが、検挙されたケースはなかったということです。
一方で、今回の選挙では、22日までに文書掲示で2件の警告があったということです。
参議院議員選挙は、7月3日に公示、20日に投開票される予定です。

2025年6月23日(月) 18:57
交通死亡事故が急増 トラックと自転車が衝突し高齢男性が死亡
22日、滋賀県長浜市の国道でトラックと自転車が衝突する事故があり、自転車に乗っていた高齢男性が死亡しました。警察では、県内で交通死亡事故が急増しているとし、注意を呼び掛けています。
警察によりますと22日午後2時ごろ、長浜市木之本の国道8号で道路を横断中だった自転車とトラックが衝突しました。この事故で、自転車に乗っていた近くに住む84歳の男性が頭などを強く打ち病院に運ばれましたが、その後死亡が確認されました。男性はヘルメットを着用していなかったということです。
警察は、トラックを運転していた長浜市西上坂町の会社員の男・58歳を過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕しました。
調べに対し男は「考え事をしていて前に集中出来ていなかった」と話しており、警察では容疑を過失運転致死に切り替え、ドライブレコーダーの解析や目撃者に話を聞くなどして事故の原因を詳しく調べる方針です。
県内では、今年に入ってから今月16日までの間、交通事故による死者数が24人に上っており、去年の同じ時期に比べて14人増加しています。警察では、交通死亡事故の急増をうけて、ドライバーに対し常に緊張感を持って「かもしれない運転」を徹底することを呼び掛けています。
また、歩行者・自転車に対しては、左右の安全確認や反射材の着用など、事故に遭わないための対策を呼び掛けています。
警察によりますと22日午後2時ごろ、長浜市木之本の国道8号で道路を横断中だった自転車とトラックが衝突しました。この事故で、自転車に乗っていた近くに住む84歳の男性が頭などを強く打ち病院に運ばれましたが、その後死亡が確認されました。男性はヘルメットを着用していなかったということです。
警察は、トラックを運転していた長浜市西上坂町の会社員の男・58歳を過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕しました。
調べに対し男は「考え事をしていて前に集中出来ていなかった」と話しており、警察では容疑を過失運転致死に切り替え、ドライブレコーダーの解析や目撃者に話を聞くなどして事故の原因を詳しく調べる方針です。
県内では、今年に入ってから今月16日までの間、交通事故による死者数が24人に上っており、去年の同じ時期に比べて14人増加しています。警察では、交通死亡事故の急増をうけて、ドライバーに対し常に緊張感を持って「かもしれない運転」を徹底することを呼び掛けています。
また、歩行者・自転車に対しては、左右の安全確認や反射材の着用など、事故に遭わないための対策を呼び掛けています。

2025年6月23日(月) 18:50
激しい雷雨で各地に停電発生 学校や交通に影響
23日の滋賀県内は、梅雨前線に伴う湿った空気の影響で一時激しい雨や雷雨に見舞われ、停電が発生するなど各地で影響が出ています。
JR東海によりますと23日午前10時半ごろ、JR近江長岡駅の信号設備が落雷で損傷し、関ケ原~米原間で終日運転が見合わせに。
また、近江八幡市では落雷の影響で学校給食センターが停電し、市内の小中学校あわせて7校で給食の米飯が提供できなくなり、代替食として市が備蓄しているカレーが提供されたという事です。
県内は、24日以降も梅雨空が続くとみられ、雨や雷雨、突風などへの警戒が必要です。
JR東海によりますと23日午前10時半ごろ、JR近江長岡駅の信号設備が落雷で損傷し、関ケ原~米原間で終日運転が見合わせに。
また、近江八幡市では落雷の影響で学校給食センターが停電し、市内の小中学校あわせて7校で給食の米飯が提供できなくなり、代替食として市が備蓄しているカレーが提供されたという事です。
県内は、24日以降も梅雨空が続くとみられ、雨や雷雨、突風などへの警戒が必要です。

2025年6月22日(日) 18:27
生果実は今だけ!アドベリー収穫祭
高島市安曇川町では、特産品の「アドベリー」が収穫の最盛期を迎え、22日は道の駅で収穫祭が行われました。アドベリーは、1年にたった2週間程度しか収穫時期がありませんが、22日には、地元・安曇川高校の生徒たちも、収穫祭で販売するアドベリーの収穫体験を行いました。アドベリーは、ボイセンベリーという果実を、安曇川町の特産品とするため命名されたもので、今は市内4軒の農家が生産しています。この日は、道の駅で収穫祭も開かれ、この時期だけしか出回らない「アドベリー」の生果実を求め、大勢の人が列をつくりました。買い物客は「アドベリーの加工品はよく買ってたけど生は食べたことなかったし今だけだから」と話していました。
また、生果実のほか、菓子やジュース・かき氷などアドベリーを使った加工品の販売も行われました。生産協議会によりますと、アドベリーの生果実は、7月6日ごろまで、「道の駅藤樹の里あどがわ」で販売される見込みです。
また、生果実のほか、菓子やジュース・かき氷などアドベリーを使った加工品の販売も行われました。生産協議会によりますと、アドベリーの生果実は、7月6日ごろまで、「道の駅藤樹の里あどがわ」で販売される見込みです。

2025年6月22日(日) 18:17
びわ湖で獲れたばかり!湖魚の直売会
守山市のJA直売所「ファーマーズマーケットおうみんち」では、不定期で開催される「湖魚の直売会」が行われました。並んだのは、コアユにモロコ、ワカサギに、エビも。全て、その日の朝、びわ湖で獲れたものです。この直売会は、地元の漁協が、月に1・2回、不定期で行っているもので、午前9時に販売が始まると、多くの人が次々に買い求めていました。守山漁業協同組合の浦谷忠司組合長は「魚も手身近に食してもらえるような状況を提供しないといけない。それが少しでもできたかなと思う。」と話していました。
会場では、ホンモロコやワカサギの佃煮が、その場で炊き上げられ、甘じょっぱい香りに誘われて多くの人が集まっていました。
守山漁業協同組合では、次回の直売会の予定はLINEの専用アカウントで発信しているということです。
会場では、ホンモロコやワカサギの佃煮が、その場で炊き上げられ、甘じょっぱい香りに誘われて多くの人が集まっていました。
守山漁業協同組合では、次回の直売会の予定はLINEの専用アカウントで発信しているということです。

2025年6月21日(土) 19:06
大津市・西教寺で色鮮やかな4000個の風鈴参道
大津市の西教寺では、4000個の風鈴が飾られた「風鈴参道通り抜け」が21日から始まり、涼やかな音色を響かせています。西教寺の風鈴参道は、2021年に蔓延していた
新型コロナウイルスの邪気をはらおうと始められ、本堂前から石階段下までの約50メートルにわたって様々な色の風鈴が彩ります。今年は去年より1000個多い4000個の風鈴が設置されました。
西教寺によると、風鈴のルーツは寺院にある風鐸で、疫病を運ぶと考えられていた風を、音をたてることで邪気を払い、風鐸の音が聞こえるところは聖域として災いが起こらないと伝えられてきました。江戸時代に暑気払いや魔除けとして「風鈴」に名前を変え、一般に定着したといわれています。
また、初日のこの日は、西教寺の武田圓寵 貫首によって、災いを除き、福を招く「除災招福」の願いを込めた法要が営まれました。風鈴参道は、9月21日まで行われています。
新型コロナウイルスの邪気をはらおうと始められ、本堂前から石階段下までの約50メートルにわたって様々な色の風鈴が彩ります。今年は去年より1000個多い4000個の風鈴が設置されました。
西教寺によると、風鈴のルーツは寺院にある風鐸で、疫病を運ぶと考えられていた風を、音をたてることで邪気を払い、風鐸の音が聞こえるところは聖域として災いが起こらないと伝えられてきました。江戸時代に暑気払いや魔除けとして「風鈴」に名前を変え、一般に定着したといわれています。
また、初日のこの日は、西教寺の武田圓寵 貫首によって、災いを除き、福を招く「除災招福」の願いを込めた法要が営まれました。風鈴参道は、9月21日まで行われています。