近江八幡の礎を築いた「豊臣秀次」をしのぶ
2025年7月13日(日) 18:35

豊臣秀吉の甥、豊臣秀次は八幡山城を築き、城下に碁盤の目のような町並みや湖上交通と物流の中継点となる八幡堀を整備し、今の近江八幡の基礎を築きました。その後、秀吉から関白の職を譲り受けましたが、謀反を理由に1595年7月15日、高野山で自害させられたとされています。
この日は、秀次の居城だった八幡山城の本丸跡に建つ村雲御所瑞龍寺で顕彰法要が営まれ、近江八幡市の小西市長をはじめ約200人が参列しました。法要では、参列者が声を合わせてお経を読み、まちの繁栄の基礎を築いた秀次の遺徳をしのんでいました。村雲御所瑞龍寺では、来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」を前に、近江八幡市の発展と豊臣秀次の功績をより多くの人に知ってもらいたいとしています。